何より危ないことは、自分が正しいと思い正義を掲げて、正義に酔いしれていると、自分以外の価値観を認めることができなくなる。
果てには「正義の介入」へと踏み出すことである。
とアドラー心理学の創始者であるアルフレッド・アドラーは述べています。
この言葉を身をもって体感しました。
私は、アドラー心理学に基づくコーチングの視点での生徒との活動を心がけて教師生活を送るように変化しました。
一方で、ティーチングの視点で、上下の関係を用いて恐怖と罰でコントロールしようとする人もいました。
これは、正反対です。
生徒たちを困惑させたかもしれません。
その困惑にうすうす気づきながらも、もう2度と同じように「恐怖」と「罰」でコントロールする教育はしたくなかったのです。
この決意はどう頑張っても、どう考えてもあの頃の私には譲れませんでした。
本当に苦しかったです。
生徒には、迷わせて悪いことをしているかもしれないという罪悪感がありました。
教育の先によりよい社会を見据えていた私は、自分の姿で伝えたいという思いも強く持っていました。
そして、意地やプライドにとらわれていた私は、「私の方が生徒の成長のためになっていて、正しい」という考えに酔いしれ正義の介入に踏み出したのです。
争いは絶えることなく続き、「あいつらが間違っているから、変えてやろう」「俺のやり方を認めさせよう」「いつかわかってくれる」と思いながらやっていました。
しかし、立場や年齢などに気を使い、遠慮して論議の場を作ることもできず、様々なやり方で徐々に追い込まれていきました。
結果は、ご覧の通りです。私は、うつ病になり、職場をやめました。
私の教育観は変えることができました。そこで、正義に酔いしれてしまった私は、「正義の介入」に踏み出し、大きなダメージを受けました。
ある意味、自滅です。負けの90%は自滅と雀鬼・桜井正一さんはおっしゃっています。それも体感しました。
私たちは、自分のことを変えられるのです。実際に、人生観が変わった私は、生徒の見え方、教育の在り方、保護者との関係、野球への考え方。すべてが変わり、世界が変わりました。
なんと、うつになった原因の事柄や恨んでいた人たちに対しても見え方が変わってきたのです。
「正義の介入」は自分の心や立場を亡ぼし、人間関係を亡ぼす危険な行いだと思います。