人間関係のトラブルに陥った時の私の考え方

人間関係のトラブルに陥った時の私の考え方

うつ病に向かった日々を、穏やかに振り返ることが少しずつできるようになってきたので、
私がどんな考え方で仕事をしていたかをシェアしたいと思います。

よろしくお願いします。

自分を苦しめ追い込んでいたもの

振り返ってみると、2つの考え方によって、自分が自分を苦しめ、追い込んでいたんだと気づきました。

ひとつ目は、「正義感」=「自分が正しい。相手が間違っている」
ふたつ目は、「・・・ねばならない」と「・・・べきである」

①「正義感」

物事への理解の仕方は、人によって違うし、時代によっても違います。
立場や都合によっても解釈が変わってくるものです。
よって「正しい、正しくない」もいい加減なものであり、たちが悪いものだと思います。

各自が自分勝手な解釈で、「正しい、正しくない」で争うのだから、どうしようもないですよね。
さらに「自分が正しい、相手が間違っている」という思い込みが強いほど、トラブルが大きくなることがあると思います。

 私は、教育観と先輩・後輩という関係性において、この正義感へとらわれていました。

「生徒の成長のためにはこうすべきだ」「あなたのやり方は間違っている」という正義感。
「上司や先輩とは部下がやりやすい環境を整えるべきだ。なんでそんなことを言うのだ、するのだ。」という正義感。

この思い込みを強く強く持っていました。それは大きなトラブルになると思います。

②「ねばならない」と「べきである」

「先輩を立てなければならない」
「上司の言うことはしなければならない」
「はい。と答えるべき」
「嫌なことも我慢してするべきである」こんな心理でした。

体育会系と呼ばれる社会で育ったからでしょうか。
仕事にはまったく関係のない理解不能の命令や自滅していく指導に対しても「従うべき」という思いで嫌々取り組んでいました。

それは、相手にも伝わるのでしょうね。
相手は自分で私に頼んでおいて、私の態度が気に食わないから腹を立てるという悪循環。

私は、一応言われたことはするけど、いい加減という悪循環。
「言い返してはならない」という思い込みから、ただ態度に表すだけという悪影響。

悪、悪、悪という「うつ病」になるべくしてなる環境を作ってしまっていたのだと思います。

振り返りと気付き

これらの振り返りから、
1.「意見が違って当たり前」
2.「モノサシ」=とらわれ 思い込みを手放す。

という二つのことを学びました。

意見が違って当たり前

どんなことにも「これしかない」などと考ええず、様々な可能性があるものだし、
多様性を認め合うことはとても大切なことだという柔軟な考え方を持つことが大事ではないかと思います。

「モノサシ」を手放す

「ねば、べき」・「きれい、きたない」・「正しい、正しくない」など私がもっているモノサシは数えきれないくらいあります。

その中には、社会や時代によって変化するものもたくさんありますし、
著名な方が言っていたことや本に書かれていたことなどもたくさんあります。

例えば「好き、嫌い」というモノサシを持っていると、同じ事があっても「好き」な人がやるから「素敵」である。

「嫌い」な人がやるから「むかつく」となってしまっていた。

これらのモノサシを手放していこうと思います。

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