序章 32歳の決断がうつへ向かう日々の始まり

序章 32歳の決断がうつへ向かう日々の始まり

「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子 幻冬舎)

3歳くらいの子供を連れた母親が、水道工事をしている人たちのそばを通りながら語 って聞かせます。「おじさんたちがこうして働いてくださるおかげで坊やはおいしい 水を飲めるのよ。ありがとうといって通りましょうね」。

同じところを、これまた幼い子を連れた母親が通ります。子供に向かって言いまし た。「坊やも勉強しないと、こういうお仕事をしないといけなくなるのよ」
価値観は言葉以上に、実行している人の姿によって伝えられる。

子供は親や教師の言うとおりにはならないが「する通り」になる。

この言葉は、ズバリ当てはまると思います。

なぜなら、私自身が何度も感じてきたことだからです。

生徒のことを理解したいと考え、「親のする通りになる」という視点でいると、保護者と会うことも楽しみになりました。
保護者と生徒の癖がまったく同じだったり、一つの事象に対して同じ見解を示すことが多くて、そのたびに微笑んでいました。

こんなこともありました。全校生徒1500人ぐらいでしたので、保護者さんだけ知っている生徒もいました。
高校生なので名札もありませんが、廊下の向こうから聞いたことある笑い方が響いてきます。もしやと思い、・・さんと尋ねると、「はいそうです。なんで知ってるんですか?」とびっくりされたこともあります。

32歳の時、渡辺和子さんの言葉が、ズドーンと肚に響きました。

やらせる指導法

それまでの私の指導方法は、縦の関係を強固にし、力を誇示する。
「なんでできない」「なんでしない」という思いばかりで、未完成の生徒たちにとって、ありえないようなパーフェクトな結果を要求する、感情的に大きな声を上げる、それは間違えだ、絶対こうだと押し付けることも多々ありました。
私は自分の立場を守っていただけでした。振り返ると、本当に申し訳ない気持ちと後悔の念でいっぱいになります。
私は間違っていました。
だから、教え子のみんな、私を恨んでいいから、どうか「自分がこうやられたから、下の世代にもする」ではなくて、「自分が将来接してほしい人物像を下の世代に見せてあげてほしい」と伝えます。
心地よい社会のために。

「学ぶ」の語源は「真似る」と言われています。
親や教師の「する通り」になる。真似るということだと思います。私も尊敬する先生方の真似をしていましたから、腑に落ちました。

この本は、ずっと昔から読んでいたのに、32歳の私に大きな影響を与えたのです。不思議です。自分が成長したい、変わりたいと願っていると神様は、何かしらのヒントを身の周りにちりばめるのでしょうか。
それに気づくかどうか。気づくためには、視野を広く、耳を澄まして、心を落ち着かせて、ゆるめておく。
自分に余裕がないと気づけないことが多いと感じます。
うつがひどいときは、まったく気づけませんでしたから。

指導方法の変化がうつへ向かう日々の始まり

32歳の教育観の変化が人間関係のトラブルへとつながっていったと思います。
しかし、後悔はしていません。
新しいクラスの生徒たちと出会い、ここからの3年間はとても充実したものになりました。

私の人生の目標は、23歳の時から「よりよい地域作りへの貢献、よりよい日本作りへの貢献」です。それは、うつ病を患っても変わりません。
その観点で、教師のする通りになるという言葉について考えてみます。

私の答えは、「将来、自分が接してほしい人物像を、未来を担う人たちに見せていくこと」という答えになりました。
しかし、当時の現場では、失敗したら、五厘刈りの頭にさせて、試合に負けたら、罰で走らせる。しかし大人の都合が悪いことは隠ぺいする。
振り返りをしないから、これからどうすべきかを示せない。生徒を批判する、笑いのネタにする。情熱を示さない。

言葉では、良いこと言えますよね。本もあるし、先人の教えもあるし。そんな先輩の指導をみるのが、辛かった。
未来を担う生徒たちに、真似してほしい姿はこの姿では、ない。モヤモヤ、イライラが募る日々でした。ただ、先輩だから言えませんでした。
この学校を辞めたくなかったから、嫌われたくなかったから言えませんでした。保身です。振り返るととても恥ずかしい。勇気もなかったのでしょう。

それでも、大河に一滴の水をたらすという精神のもと、私だけでも生徒になってほしい人物像を見せると、力み、視野が狭く狭くなっていきました。
続く

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